安田昇司先生を偲んで

  そのハガキでの知らせは突然訪れました。いつも私が座るりビングの机の上にボツンと置いてありました。前日、私は当直勤務で自宅に帰ることなく仕事をしていて自宅に電話連絡をした際に、妻よりその訃報を耳にし、雷に打たれたような衝撃と何か実感なのない気持ちで一日を過ごし、帰宅してそのハガキを見つめて、その事実を納得させています。

  安田先生は、平成23年に要成館道場に入会され、そのお人柄と温和な御指導で、多くの子供たちの基本指導をしていただきました。また、その御指導は多くの引き出しを持った御指導で、上手にできない子供にも常に笑顔で接し、子供のやる気を引き出し、ほめて伸ばす御指導を実践されていました。

  安田先生が御指導をしていただいた子供たちが、今の要成館の主力であり、当道場が試合において、東京都で上位に食い込む転換期であった時に、その基礎を作っていただいた先生です。剣道を楽しく、正しく、相手を敬い、自分で考えることの大切さを、常に笑顔で御指導され、毎回稽古開始前には、両手にモップを持って体育館の清掃を一人でしている姿が、今も瞼に焼き付いております。

  安田先生と言えば、常に温和でやさしい笑顔を絶やさず、ニコニコと笑っている姿しか思い浮かびません。おそらく誰一人として、声を荒げたり、相手を批判したりする姿を見た人はいないと思います。そんなお姿は、常に私の理想の指導者の姿であり、安田先生の御指導を見て、自分の指導の至らなさを日々痛感していました。私にとって安田先生は師であり、その指導法は理想でありました。年の差を感じさせない御配慮を常にしていただき、剣道のみならず人としての生き方を学ばせていただきました。

  要成館にとっても、私にとっても、まだまだこれから先生の御指導が必要であった矢先の関病生活は私に衝撃を与えましたが、必ずまたお戻りになると信じ、願いを願掛けして、年半に及ぶ断酒をしていたところ、安田先生は、酒好きが飲めないのは不憫とお考えになり、昨年の12月の納会の際に、恒例の差し入れを持ってきて、あの笑顔で、「これでお酒が飲めますね。」と語られ、お体が辛い状態であるのに、「道場生や要成館のお仲間に、ご挨拶したいけれど、まだ体調が本調子でないので皆さんによろしく。」と述べられてお別れいたしました。思い返せば、あと20分も待てば道場生の皆さんが来ることをお伝えしましたが、その時間すらも待てない、つらい体調であったのではないかと思うと、その御配慮に心が痛みます。

  夏合宿の際は、山梨県まで毎回差し入れのため、現地まで激励にお越しになり、蒼鷹杯では審判長を務め、連盟の依頼には積極的に参加していただき、会場設営や、時には駐車場係までしていただきました。ご自身は、持病を持っている中で、剣道段に挑戦され見事昇段を果たし、後に要成館に続く高段者の先駆けとして、その背中を見せてくれました。

 年末の忘年会では、あまりお酒はお飲みになれないのに、ニコニコ笑ってお話をしている姿が印象的でした。安田先生の存在は、私にとって剣道だけでなく、人としての生き様を示してくれたものでした。それ故に、病魔によってのお別れは、故人とって、さぞや無念であろうと思うとともに、今、私や要成館の皆さんには大きな喪失感となっています。今だに現実ともとれぬ心境である中で、ただただ故人のご冥福をお祈りするとともに、安田先生の御指導が我々の心の中には常に生きており、その意思が我々の心の中に引き継がれていくと感じています。

  最後に、安田先生は、接した皆さん誰もが感じたとおりのお人柄の先生でした。故人の意思は、我々の心の中に生き続け、永遠のものとなります。故人のお孫さんも剣道をし、その御活躍を楽しみに語っているお姿は昨日のことのように思い出されます。残された者は、故人に恥じない剣道を、人生を送ることだと思います。

  安田先生の弟子として、今日も正しい剣道を実践し、恥ずかしくない剣道をしていきます。

  私には見えます。横山第一小学校体育館のいつもの右端に立って、ニコニコ笑って我々の稽古を見ているお姿が。 

  合掌

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